2018年8月2日木曜日

「笹森儀助の軌跡 東喜望」を読む。 ○ 笹森儀助(1845 - 1915 享年71歳)は青森県、弘前藩士として生まれ明治時代に探検家、政治家、実業家として活躍した。笹森儀助は偉人であるが、殆ど知られていない。 ○ 笹森儀助が見た明治時代は、アジア侵略えと進む日本と国民の貧困であった。 ○ 当時の日本において辺境の地であり、その実態がほとんど分かっていなかった南西諸島及び台湾、千島列島、シベリアを調査した他、奄美大島の島司や第2代青森市長も務めている。笹森儀助のエネルギーには驚く。 また、南西諸島調査の詳細な記録である著書『南嶋探験』は、柳田國男など後の民俗学者に大きな影響を与えた。 ○ 笹森 儀助は激動の明治近代にあって、後半生の大半を辺地の曠野に身をさらし、異郷の辺界に漂泊した。笹森儀助は日本近代の矛盾を見つめ問題を提起した。 笹森は先島、沖縄の人頭税が内務大臣・井上馨に訴え出られ、世論の後押しも受け第8回帝国議会において1903年(明治36年)廃止、日本本土と同様の地租に切り替えられた。 ○ 笹森儀助は奄美大島の島司に就任する。島司としては、糖業の振興と、島民が持っていた負債の償却に多く力を注いだが、業績の中で最も快挙とされる。

「笹森儀助の軌跡 東喜望」を読む。
○ 笹森儀助(1845 - 1915 享年71歳)は青森県、弘前藩士として生まれ明治時代に探検家、政治家、実業家として活躍した。笹森儀助は偉人であるが、殆ど知られていない。
○ 笹森儀助が見た明治時代は、アジア侵略えと進む日本と国民の貧困であった。
○ 当時の日本において辺境の地であり、その実態がほとんど分かっていなかった南西諸島及び台湾、千島列島、シベリアを調査した他、奄美大島の島司や第2代青森市長も務めている。笹森儀助のエネルギーには驚く。
また、南西諸島調査の詳細な記録である著書『南嶋探験』は、柳田國男など後の民俗学者に大きな影響を与えた。
○ 笹森 儀助は激動の明治近代にあって、後半生の大半を辺地の曠野に身をさらし、異郷の辺界に漂泊した。笹森儀助は日本近代の矛盾を見つめ問題を提起した。
笹森は先島、沖縄の人頭税が内務大臣・井上馨に訴え出られ、世論の後押しも受け第8回帝国議会において1903年(明治36年)廃止、日本本土と同様の地租に切り替えられた。
○ 笹森儀助は奄美大島の島司に就任する。島司としては、糖業の振興と、島民が持っていた負債の償却に多く力を注いだが、業績の中で最も快挙とされる。

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