「ある華族の昭和史 酒井美意子」
○ 著者、酒井美意子(1926~1999)さんの父上は前田利為( としなり)(1885 - 1942)氏は華族、陸軍大将。旧加賀藩主前田本家第16代当主(侯爵)である。
○ 明治憲法では国民に階級が設けられていた。天皇の下に皇族、華族、士族、平民である。なお華族の内には公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の階級があった。
華族は天皇の藩屏(直属の部下)と位置づけされ、皇室を守る階級とされた。
○ 加賀前田家は戦国の武将前田利家の開いた家系であり、武門の家であるが、文化面で多いに貢献した家柄である。
○ 前田利為氏は(陸軍士官学校で同期でありながら4年遅れて陸大を卒業した東條英機とはそりが合わず、前田利為氏は東條英機を「頭が悪くて先が見えない男」と批評し、東條は前田利為氏を「世間知らずの殿様に何がわかるか」と反発していた。前田利為氏は首相になった東條を「宰相の器ではない。あれでは国を滅ぼす」と危ぶんでいた。
前田利為氏の予言は当たり東條英機は国を滅ぼした。
○ 酒井美意子さんは前田侯爵家の姫として、戦争末期には外務省職員として、一般庶民とは違う世界で激動の昭和時代の経験をされた。そして従兄弟の酒井忠元氏と結婚された。
○ 1947年新憲法が発布され、華族制度は廃止された。
○ 戦後、酒井美意子さんはハクビ総合学院学長の他、百合姿きもの学院と京都きもの学院の学長を兼任された。
○ 私は戦前に存在した庶民とかけ離れた華麗な華族社会に驚きを感じる。また華族社会の史料としても勉強になる。
2018年8月3日金曜日
「ある華族の昭和史 酒井美意子」 ○ 著者、酒井美意子(1926~1999)さんの父上は前田利為( としなり)(1885 - 1942)氏は華族、陸軍大将。旧加賀藩主前田本家第16代当主(侯爵)である。 ○ 明治憲法では国民に階級が設けられていた。天皇の下に皇族、華族、士族、平民である。なお華族の内には公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の階級があった。 華族は天皇の藩屏(直属の部下)と位置づけされ、皇室を守る階級とされた。 ○ 加賀前田家は戦国の武将前田利家の開いた家系であり、武門の家であるが、文化面で多いに貢献した家柄である。 ○ 前田利為氏は(陸軍士官学校で同期でありながら4年遅れて陸大を卒業した東條英機とはそりが合わず、前田利為氏は東條英機を「頭が悪くて先が見えない男」と批評し、東條は前田利為氏を「世間知らずの殿様に何がわかるか」と反発していた。前田利為氏は首相になった東條を「宰相の器ではない。あれでは国を滅ぼす」と危ぶんでいた。 前田利為氏の予言は当たり東條英機は国を滅ぼした。 ○ 酒井美意子さんは前田侯爵家の姫として、戦争末期には外務省職員として、一般庶民とは違う世界で激動の昭和時代の経験をされた。そして従兄弟の酒井忠元氏と結婚された。 ○ 1947年新憲法が発布され、華族制度は廃止された。 ○ 戦後、酒井美意子さんはハクビ総合学院学長の他、百合姿きもの学院と京都きもの学院の学長を兼任された。 ○ 私は戦前に存在した庶民とかけ離れた華麗な華族社会に驚きを感じる。また華族社会の史料としても勉強になる。
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