「暮しの手帖とわたし 大橋鎮子」を楽しく読む。
「暮らしの手帖」初代社長大橋鎭子(1920~2013 享年93歳)さんの自伝んである。
子供時代のエピソードから、1945年の、やがて編集長に就任する花森安治さんとの出会い、1948年「暮しの手帖」の創刊、1978年に花森さんが亡くなるまでの出来事が、自伝的に綴られている。
○ 戦後まもなく、娯楽どころか衣食住も十分とはいえない時代に、新しい雑誌を生み出した人びとの熱気が伝わってくる。
○ 本をつくるよろこび。皆で雑誌作りの仕事に没頭する楽しさ。良い雑誌を生ため、譲れないものと、変更をおそれぬ勇気。「暮らしの手帖社」はさながら楽しい家族であった。しかし雑誌を完成させる為には妥協しない厳しさがあった。
○ 鎭子さんが川端康成に「暮しの手帖」創刊号の原稿を依頼する経過など、鎮子さんのひたむきな努力に感激する。
○ アメリカ大使館から招待されたアメリカの旅も鎮子さんの努力が報われたプレゼントであった。
○ 何より魅力的なのは、さまざまなエピソードから伝わる鎭子さんの素晴らしい人柄である。
鎮子さんの繊細にして大胆、物怖じせずに信じた道をまっすぐ歩いてゆくその気っぷの良さに、読みながら称賛し学ぶ所が多い。
三十年間一緒に仕事をしてきた花森安治さんへの敬愛も、言葉の端々ににじむ。
花森氏は、本当に魅力的な編集者であったようだ。
○ 鎭子さんは「また近いうちにお会いしたく存じます」とこの本を締めくくっているので今も生きておられるようだ。
2018年8月3日金曜日
「暮しの手帖とわたし 大橋鎮子」を楽しく読む。 「暮らしの手帖」初代社長大橋鎭子(1920~2013 享年93歳)さんの自伝んである。 子供時代のエピソードから、1945年の、やがて編集長に就任する花森安治さんとの出会い、1948年「暮しの手帖」の創刊、1978年に花森さんが亡くなるまでの出来事が、自伝的に綴られている。 ○ 戦後まもなく、娯楽どころか衣食住も十分とはいえない時代に、新しい雑誌を生み出した人びとの熱気が伝わってくる。 ○ 本をつくるよろこび。皆で雑誌作りの仕事に没頭する楽しさ。良い雑誌を生ため、譲れないものと、変更をおそれぬ勇気。「暮らしの手帖社」はさながら楽しい家族であった。しかし雑誌を完成させる為には妥協しない厳しさがあった。 ○ 鎭子さんが川端康成に「暮しの手帖」創刊号の原稿を依頼する経過など、鎮子さんのひたむきな努力に感激する。 ○ アメリカ大使館から招待されたアメリカの旅も鎮子さんの努力が報われたプレゼントであった。 ○ 何より魅力的なのは、さまざまなエピソードから伝わる鎭子さんの素晴らしい人柄である。 鎮子さんの繊細にして大胆、物怖じせずに信じた道をまっすぐ歩いてゆくその気っぷの良さに、読みながら称賛し学ぶ所が多い。 三十年間一緒に仕事をしてきた花森安治さんへの敬愛も、言葉の端々ににじむ。 花森氏は、本当に魅力的な編集者であったようだ。 ○ 鎭子さんは「また近いうちにお会いしたく存じます」とこの本を締めくくっているので今も生きておられるようだ。
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